IE9ピン留め


2007 Meyer-Näkel Dernauer Pfarrwingert Spätburgunder





痛々しい演奏の箇所が幾度か重なると、聴いているのが苦痛になり、目も当てられない。さらに、Colin Davis指揮するLSOの行儀のよすぎるオーケストラとのミスマッチがしばしば追い討ちをかける。特にAllegroにおいては耳を塞ぎたくなる衝動にかられたのは一度だけではなかった。

それでも、Adagioを通してMitsuko Uchidaの演奏は期待通り美しく、コンサートホールいっぱいの観客を心底陶酔させていたようだ。ぼうっと「バーチャルドラッグ」という言葉が頭をかすめた。

コンサートが終わり、喝采を惜しまない寛大な観客に心から賛同しきれず席を立ち、ビル風が吹きすさぶ中地下鉄の駅へ向かう道すがら、いましがたの経験の余韻が頭の中で再現される。「よかったじゃないか」と反論する旦那になぜ不満なのかを説明しているうちに、ふと彼女の演奏の楽しみ方は別のところにあるに違いないという確信が湧いた。

Exciting, fast, gentle, romantic…どんな形にしろ全体として調和のとれたコンサートの出来を鑑賞するはそれなりの楽しみ方だ。しかし、そちらに目を向けすぎると違う鍵盤を叩かれて不協和音にいらだちを覚えさせられたり、テンポに疑問を感じたりしてそれ以上のものが感じとれない。

しかし、特定のピース、今回に限って言えばこのピースがBeethovenによって創り出されたもので、このピースを通しての彼の意図と感情が媒体としての演奏家(と指揮者)の解釈によって息を吹き返されていることに目を向けると、異なる側面が浮き上がってくる。

演奏前のインタビューで彼女が
Particularly in Beethoven, there is thunder, and anger, and despair, and the storm outraging – and suddenly, the clouds are gone. And there is thin light - really very very faint - but there is light. Those are the moments that I so love. Those are the moments when the lights come through. And you have to catch that.
という。

この深層理解と再現の意思そのものがアートなのではないかと私には思えてくるのだった。

BBC Radio 3でライブで放送された当日のコンサート

BBC Radio 4 Desert Island Discs - Mitsuko Uchidaインタビュー(1996)


# by uk_alien | 2011-12-18 22:54 | music | Comments(0)



Royal Festival HallでVladimir AshkenazyがBeethovenのViolin Concertoの指揮を振るというので出向く。

演目は
Ludwig Van Beethoven: Violin Concerto
Hector Berlioz: Symphonie fantastique

オーケストラは
Philharmonia Orchestra

ソロはValeriy Sokolov violin

全体を通して細部に気が行き届いた演奏で、すこぶる楽しめた。
# by uk_alien | 2011-12-09 18:52 | music | Comments(0)
秋におぼれるならBachのDouble Violin Concerto - 2nd movement。正式にはConcerto for 2 Violins, Strings, and Continuo in D minor, BWV 1043 - 2. Largo ma non tanto。

私が好きな演奏はこのCD



1961年Wembley Town Hall (UK)にてDavid & Igor Oistachによる演奏。オリジナルは1962年のレコード盤リリースで、この1996年バージョンはCD再生用に調整がなされている。

古めかしすぎずそれでもまろやかさが残っていていて、ゆったり鑑賞する分には十分な音質だ。

音楽からこぼれでる光の色がとてもやさしく美しい。
# by uk_alien | 2011-11-26 07:14 | music | Comments(0)
資格試験合格!
たまにはいいことがないとね。がんばって勉強したのでとてもうれしい。
# by uk_alien | 2011-11-26 06:06 | work | Comments(0)


犬を飼うということは責任とそしてドラマがつきまとう。

私は子どもがいないのでよくわからないが、きっと子どもも同じに違いない、と、「子どもと犬を比べるなんてとんでもない」といううざったいスーパーエゴのつぶやきを無視してぼんやり思う。

さて、共働きの我家の平日のルティーンは出勤前に犬の散歩を済ませ、昼は向かいのおばちゃんが一時間ほど彼を預かり、更に帰宅した私が再び犬を散歩に連出す、というものだった。長時間用足しを我慢させるのは酷だし何より丸一日猫たちと過ごすより気晴らしになると、思ったからだ。

それでも、毎日毎日他人の世話になる、というのは容易いことではない。お礼に芝刈り等の庭仕事やちょっとした日曜大工仕事をちょくちょく提供しているとはいえ共働きでは時間的に限りがあるし、感謝の思いと罪の意識は常に常につきまとう。

また、自分の家に誰かが毎日出入りをするという状況もなかなか慣れるものではない。家や庭のことに関して「これはこうしたほうがいいんじゃないか」、「余計な心配だけどああしたほうがいいんじゃないか」としばしば忠告されると、感謝の気持ちをもっているにせよ、なんともアンビバレントな感情に襲われる。

さらに、ホリデーの予定は勿論、ちょっとした事情で家にいる日や早く帰ってくることなども常に伝えておかなければならない。これは病気で会社を休むときも同じで、具合が悪いときは会社とおばちゃんと双方に連絡をとらなければならず、さっさとベッドにもぐりこんで休みたいときに「医者に行ったほうがいい、会社だってそうそう休ませてはくれまい」云々と説教がだらだらと続く。「Leave me ALONE!」と思うのは人間の性。



一年が過ぎるころから旦那に、「おばちゃんが来てくれるのはありがたいけれど、もう一年が過ぎるし、そろそろ人に頼らず、勝手口にDog/Cat Flapをしつらえてはどうか」と提案しはじめた。低い柵で庭の一部を区切れば犬が自由にそして安全に用足しできる。朝から夕方までは長い待ち時間だが、朝夕の散歩を合わせるとほぼ二時間、昼間は犬はまず疲れて寝ている、という考え。

それにここ一年でおばちゃんの障害は大分進んだ。今は杖(しかも二本)なしでは歩けず、そんな彼女に毎日犬を連れ出すことをお願いするのは、彼女が意地で継続を望んだとしても私には正当とは思えなかった。冬場凍結するステップ、雪、気温が下がってさらに酷くなる関節炎…。今年の冬をどう乗り切ろう…と私は深刻に懸念していた。滑って怪我でもされたらそれこそ私は罪の意識で押し潰される思いをするだろうし、ある日突然「今日は道路が凍結しているから犬を連れ出しにいけない」といわれたらお手上げだ。また、「犬のためだから」と私たちが知らない彼女の友人/知人に「まただのみ」でもされたら我家のセキュリティー上しゃれにならない。実際以前に彼女の手首の力が弱すぎて我家のフロントドアの鍵をまわすことができず、「犬が待っているから」と二軒先の仕事をもたずに家でぶらぶらしている男性を呼んでうちのドアを開けてもらった、という話を彼女から聞いてぞっとしたことがあったのも事実だ。

ところが、人に頼るのがあまり苦にならなず、また、おばちゃんの気を悪くしたくない旦那は「僕たちとウォルターのためというより彼女自身ウォルターを預かることが何より楽しいんだよ。僕はいつもそういわれてるよ」との返事で私の提案には聞く耳をもたない。できないと思ったら彼女の方から申し出るだろうという英国的思考か。

ま、確かにその通りだ。散歩、睡眠、食事だけでハッピーな「わが道をゆく」タイプの彼女の犬たちと比べ、我が家の犬は人と遊ぶことが好きだし新しいトリックの訓練にもよく反応する。放っておけばおとなしく猫のように丸まっているし、お年よりにしてみれば確かに理想の遊び相手だろう。




しかしながら。

「食べ物は与えないでください」という私の依頼はしっかり無視され、彼女自身の皿からポテトチップスやチーズが与えられる。何度言ってもだめだ。「プリングルは彼にしてみればビッグマックと同じカロリー」といっても「でも他の犬が食べているのにフェアじゃないじゃないか、ほんのちょっとだよ」ときいてくれない。この結果食べ物を絶対に乞わなかったウォルターは人が何かを食べていると物乞いをするようになってしまった。

また、近所の迷惑にならないよう庭で吼えないようにしつけた私の努力はすっかり無視され、「うちの両隣でがたがた音がするときにはウォルターが吼えるよう仕向けているんだよ。私の犬は全然吼えないから役に立たない。最近は狐だけでなく山鳩がきても吼えて追い出せるようになった」と豪語する始末。こりゃまさにnana vs. mammaシチュエーション。子供のしつけを祖父母の甘やかしで台無しにされることに腹を立てる狭量な母の滑稽な図。溜息。

そうして一年半。完全に抜けられない状況にはまりこんだ...と思っていた。

そんなある日、おばちゃんが「ここ数日関節炎が極端にひどくなりずっと避けていた膝の手術をする決心をした」ときりだしてきた。膝の手術をするとなれば二匹の犬の世話から身の回りのことまですべてこれから手配しなければならない。さらに術後の彼女の日常生活は当分の間極端に制限されることになるだろう。「あんたはスキップして動き回ってあっという間に何でもできるかもしれないけど私は勝手口から車まで移動するのにものすごく時間がかかるんだよ」とあてこすられた後、「で、ウォルターなんだけど、私が動けない間は朝散歩が終わった時点で家に届けてくれないだろうかね。で、夕方あんたが仕事から帰ってきた時点で連れて帰ればいい…」

かもねぎ。チャンスの女神が微笑んだら迷わずask her out。

すかさずCat/Dog Flapの話を持ち出した。以前にも彼女の気持ち的な負担をやわらげようとPlan Bとして話してあったためたいそう切り出しやすかった。

「うちの犬の心配をするよりご自身のことだけを考えて。術後の買い物等のお手伝いは必要であれば勿論私たちができますし」と、おとなしい私にしてみればめずらしく強い姿勢で押し通した。フラップに顔があたって怖がって外に出られなくなった犬の話や、突然の習慣の変化で犬が混乱してしまうのではというありとあらえるおばちゃんの抵抗を強い意志で「大丈夫ですから。結局はウォルターは私たちの責任ですし」と頑固に交わす。

こうして彼女が昼間ウォルターを連れ出す、というアレンジメントは終結を見ることとなった。さらに犬も猫もCat/Dog Flapにまったく問題ない、ということが確認された。(ほっ)



ハッピーエンド?

人生はそんなに甘くない。

自分の考えで自分で決断を下すことに慣れきっているおばちゃんの私に対する態度は急変した。Flapをつけた後特に問題はないと様子報告に訪れた私には北極並みに凍てついたnastyな態度で対応がなされた。ほとんど子供じみていたといっても過言ではないだろう。

はいはい。

Both sides of the story。

暫くは放っておこう。おそらくいずれは再び笑顔で挨拶を交わすこともできるようになるだろう。

こうした結果を最初から予測できなかったわけではない。おばちゃんの気の荒い性分の悪評はこの近所では名高い。そうでなくても多くの人はまずこういう状況に陥らないよう「近隣の人とのかかわりはほどほどにとどめておく」のだろう。私はといえば心のどこかでこれがどういう展開になるのか、それを自分の目で自分の経験として見てみたかったのかもしれない。

そしてさらにこれからこれがどう展開していくのかにも消極的にしろ興味を持っているのである。





























何にがっかりしているのだろう。
期待を裏切られるのがつらいから重たい石の壁で自分を守る。

何に怒っているのだろう。
腹が立つことが多すぎるから周りをしっかり見ることを避ける。

忘れかけていることがもう忘れられてしまっている現実が重過ぎて、家路で振り返って立ち止まる。暫く景色を見つめてから再び歩き始める、そして私は歩き続ける。
職場のシステムが連結しているデータセンターに深刻な問題が生じて、グループ会社すべてのシステムがロングウィークエンドに全面的賛意を表し完全停止した金曜の昼。

時間つぶしにショッピングに出ると、ITの職員がすれ違いざまに「なが~いお昼休みをゆっくり楽しんでね」とウィンクする。事態は深刻なのね、とぼんやり考えながら一時間半時間をつぶして職場にもどるとやっぱりシステムは動いていない。バックアップシステムも稼動しなかったようだ。

'Contingency' - この言葉に会社は一体いくら叩いてきたんだろう。誰しもがパブやワインバーに足を運びおもいおもいのドリンクをすする金曜の午後13:30。今この界隈で「首を洗っている」人間はそれでも数人いるには違いないが、うちの会社のITダイレクターのジョンはまさにその一人だろう...などとぼんやり思いをめぐらせる。

システムが動かないのでまったく仕事にならず、お上から「帰っていいよ」とのお達し。夜に予約してあったDmitri Hvorostvskyのコンサートまで時間がたっぷりあるので久しぶりにPiccadillyのWaterstonesで時間をつぶすことにした。Kindleを家においてきてしまったので活字中毒の禁断症状を感じていたのと、興味本位で再び紙の本を読んでみたくなったからだ。

うーん、何を買おう...?

久々のWaterstonesだし、せっかくだから暫く立ち読み...もとい、ソファで座り読みをすることにした。気に入らなかったら買わなきゃいいんだから。

棚にならぶ本の中で目に留まったのはWe need to talk about Kevin。映画の広告のTilda Swintonの表情が非常に印象的だったので、是非Film Festivalで観たいと思っていたのだが残念ながら予約できず、それならば原作から読んでみようとぼんやり考えていたところだったのでちょうど良かった。

頁をめくっていくと、しょっぱなから著者の痛いくらいの鋭い洞察力とそれを表現する的確な描写力にぐっと惹きつけられていく。必然的にゆっくり押し流れてゆくストーリーの吸引力とあいまって、読み始めたら本当に止まらなくなった。

購入。

結局それから、通勤電車で、更には駅から家まで二宮金次郎読みをし、旦那側の消灯も無視してベッドの中で一気に読みまくることに。

久々にすごい本。
# by uk_alien | 2011-11-09 04:01 | books | Comments(0)
資格試験が終了した。結果は2ヶ月後にわかる予定。

夏の間ずっと少しずつ勉強してきたので、なんだかその間の季節を失ってしまったようで、少しさびしい反面、これからはなんでも自分の好きなものを観たり読んだりできる、と思うとやはりうれしい。

ロンドンではちょうど今週から55th BFI (British Film Institute) Lonon Film Festivalが始まるので早速Kenji MizouchiのShin Heike Monogatariを予約した。

ぎおんしょうじゃのかねのおと、しょぎょうむじょうのひびきあり...

って、国語の授業で暗記させられたっけ。でも授業ではその響きはまったく伝わってこなかった。でも学校教育ってそういうものだよね。そうして記憶の中にそっと植えられた種を人生のふとした時点で思い出し、水遣りをして育ててみる。案外きれいな花かもしれない。

それとAndrew HaighのWeekendを予約した。行きすがりで一夜をともにした二人の男性が少しずつ知り合っていく過程で思いがけない接点を見出していく...という話。これは一人で観にいくんだ。

本は同僚の勧めで目下Herper LeeのTo Kill a Mockingbirdを読んでいる。
8歳の主人公の一人称で語られていくのだが、異様にひきつけられる。
今ちょうど裁判が始まったところ。
秋の読書はいいなぁ。