
犬を飼うということは責任とそしてドラマがつきまとう。
私は子どもがいないのでよくわからないが、きっと子どもも同じに違いない、と、「子どもと犬を比べるなんてとんでもない」といううざったいスーパーエゴのつぶやきを無視してぼんやり思う。
さて、共働きの我家の平日のルティーンは出勤前に犬の散歩を済ませ、昼は向かいのおばちゃんが一時間ほど彼を預かり、更に帰宅した私が再び犬を散歩に連出す、というものだった。長時間用足しを我慢させるのは酷だし何より丸一日猫たちと過ごすより気晴らしになると、思ったからだ。
それでも、毎日毎日他人の世話になる、というのは容易いことではない。お礼に芝刈り等の庭仕事やちょっとした日曜大工仕事をちょくちょく提供しているとはいえ共働きでは時間的に限りがあるし、感謝の思いと罪の意識は常に常につきまとう。
また、自分の家に誰かが毎日出入りをするという状況もなかなか慣れるものではない。家や庭のことに関して「これはこうしたほうがいいんじゃないか」、「余計な心配だけどああしたほうがいいんじゃないか」としばしば忠告されると、感謝の気持ちをもっているにせよ、なんともアンビバレントな感情に襲われる。
さらに、ホリデーの予定は勿論、ちょっとした事情で家にいる日や早く帰ってくることなども常に伝えておかなければならない。これは病気で会社を休むときも同じで、具合が悪いときは会社とおばちゃんと双方に連絡をとらなければならず、さっさとベッドにもぐりこんで休みたいときに「医者に行ったほうがいい、会社だってそうそう休ませてはくれまい」云々と説教がだらだらと続く。「Leave me ALONE!」と思うのは人間の性。

一年が過ぎるころから旦那に、「おばちゃんが来てくれるのはありがたいけれど、もう一年が過ぎるし、そろそろ人に頼らず、勝手口にDog/Cat Flapをしつらえてはどうか」と提案しはじめた。低い柵で庭の一部を区切れば犬が自由にそして安全に用足しできる。朝から夕方までは長い待ち時間だが、朝夕の散歩を合わせるとほぼ二時間、昼間は犬はまず疲れて寝ている、という考え。
それにここ一年でおばちゃんの障害は大分進んだ。今は杖(しかも二本)なしでは歩けず、そんな彼女に毎日犬を連れ出すことをお願いするのは、彼女が意地で継続を望んだとしても私には正当とは思えなかった。冬場凍結するステップ、雪、気温が下がってさらに酷くなる関節炎…。今年の冬をどう乗り切ろう…と私は深刻に懸念していた。滑って怪我でもされたらそれこそ私は罪の意識で押し潰される思いをするだろうし、ある日突然「今日は道路が凍結しているから犬を連れ出しにいけない」といわれたらお手上げだ。また、「犬のためだから」と私たちが知らない彼女の友人/知人に「まただのみ」でもされたら我家のセキュリティー上しゃれにならない。実際以前に彼女の手首の力が弱すぎて我家のフロントドアの鍵をまわすことができず、「犬が待っているから」と二軒先の仕事をもたずに家でぶらぶらしている男性を呼んでうちのドアを開けてもらった、という話を彼女から聞いてぞっとしたことがあったのも事実だ。
ところが、人に頼るのがあまり苦にならなず、また、おばちゃんの気を悪くしたくない旦那は「僕たちとウォルターのためというより彼女自身ウォルターを預かることが何より楽しいんだよ。僕はいつもそういわれてるよ」との返事で私の提案には聞く耳をもたない。できないと思ったら彼女の方から申し出るだろうという英国的思考か。
ま、確かにその通りだ。散歩、睡眠、食事だけでハッピーな「わが道をゆく」タイプの彼女の犬たちと比べ、我が家の犬は人と遊ぶことが好きだし新しいトリックの訓練にもよく反応する。放っておけばおとなしく猫のように丸まっているし、お年よりにしてみれば確かに理想の遊び相手だろう。

しかしながら。
「食べ物は与えないでください」という私の依頼はしっかり無視され、彼女自身の皿からポテトチップスやチーズが与えられる。何度言ってもだめだ。「プリングルは彼にしてみればビッグマックと同じカロリー」といっても「でも他の犬が食べているのにフェアじゃないじゃないか、ほんのちょっとだよ」ときいてくれない。この結果食べ物を絶対に乞わなかったウォルターは人が何かを食べていると物乞いをするようになってしまった。
また、近所の迷惑にならないよう庭で吼えないようにしつけた私の努力はすっかり無視され、「うちの両隣でがたがた音がするときにはウォルターが吼えるよう仕向けているんだよ。私の犬は全然吼えないから役に立たない。最近は狐だけでなく山鳩がきても吼えて追い出せるようになった」と豪語する始末。こりゃまさにnana vs. mammaシチュエーション。子供のしつけを祖父母の甘やかしで台無しにされることに腹を立てる狭量な母の滑稽な図。溜息。
そうして一年半。完全に抜けられない状況にはまりこんだ...と思っていた。
そんなある日、おばちゃんが「ここ数日関節炎が極端にひどくなりずっと避けていた膝の手術をする決心をした」ときりだしてきた。膝の手術をするとなれば二匹の犬の世話から身の回りのことまですべてこれから手配しなければならない。さらに術後の彼女の日常生活は当分の間極端に制限されることになるだろう。「あんたはスキップして動き回ってあっという間に何でもできるかもしれないけど私は勝手口から車まで移動するのにものすごく時間がかかるんだよ」とあてこすられた後、「で、ウォルターなんだけど、私が動けない間は朝散歩が終わった時点で家に届けてくれないだろうかね。で、夕方あんたが仕事から帰ってきた時点で連れて帰ればいい…」
かもねぎ。チャンスの女神が微笑んだら迷わずask her out。
すかさずCat/Dog Flapの話を持ち出した。以前にも彼女の気持ち的な負担をやわらげようとPlan Bとして話してあったためたいそう切り出しやすかった。
「うちの犬の心配をするよりご自身のことだけを考えて。術後の買い物等のお手伝いは必要であれば勿論私たちができますし」と、おとなしい私にしてみればめずらしく強い姿勢で押し通した。フラップに顔があたって怖がって外に出られなくなった犬の話や、突然の習慣の変化で犬が混乱してしまうのではというありとあらえるおばちゃんの抵抗を強い意志で「大丈夫ですから。結局はウォルターは私たちの責任ですし」と頑固に交わす。
こうして彼女が昼間ウォルターを連れ出す、というアレンジメントは終結を見ることとなった。さらに犬も猫もCat/Dog Flapにまったく問題ない、ということが確認された。(ほっ)

ハッピーエンド?
人生はそんなに甘くない。
自分の考えで自分で決断を下すことに慣れきっているおばちゃんの私に対する態度は急変した。Flapをつけた後特に問題はないと様子報告に訪れた私には北極並みに凍てついたnastyな態度で対応がなされた。ほとんど子供じみていたといっても過言ではないだろう。
はいはい。
Both sides of the story。
暫くは放っておこう。おそらくいずれは再び笑顔で挨拶を交わすこともできるようになるだろう。
こうした結果を最初から予測できなかったわけではない。おばちゃんの気の荒い性分の悪評はこの近所では名高い。そうでなくても多くの人はまずこういう状況に陥らないよう「近隣の人とのかかわりはほどほどにとどめておく」のだろう。私はといえば心のどこかでこれがどういう展開になるのか、それを自分の目で自分の経験として見てみたかったのかもしれない。
そしてさらにこれからこれがどう展開していくのかにも消極的にしろ興味を持っているのである。