久しぶりだね

昨年一ヶ月間我が家にホームステイをした日本人の学生さんが、一年ぶりに遊びに来てくれた。

彼女は目下、パリの大学でフランス語を学びながらEUに関しての講義を英語で受けている。英語は日本の大学のクラスで週一回だけ行っているらしいが、一年のブランクがあるのに去年と比べるとしっかり会話力が伸びている。若さね。

で、帰国まで残すところ一週間。「どんな気分?日本が恋しい感じ?それともパリが気に入って離れたくない?」ときくと、いろいろなプログラムでいくつかの外国を訪ね、いろいろな国の人たちに会い、彼らが日本に関して質問してくるのに自分は答えられるだけの知識がないことに気づいた。昨年イギリスに滞在した後日本に帰る段階では、自分の中の日本人ぽさになんだか嫌な感じを覚えたけれど、今は日本で育った日本人としてもっと日本のことをしっかり理解したいと思っているところです。だから帰国後、残された大学での時間も含め、いろいろなことを学ぶのが楽しみ」という。

「例えばどういう質問に答えられないと思うの?」ときくと、しばらく考えて、「些細な例ですが、『日本語でよく使う罵倒語は何か』ときかれて、思い浮かばない。『日本語ではそういう単語はない』と一瞬思ったけれど、それは自分がただ単に使わないだけで、あるはず。英語にはたくさんあるのになぜだろう、と思ったんです」





西洋で生活する日本人なら必ず一度は考える問題だ。

学術的な背景は知らないけれど、私の経験上、英語の罵倒語は猥語に極度に偏っていると思われ、おそらくそれは性的快楽を忌み嫌うキリスト教の考え方に基づいているのではないかと私は勝手に推察している。罵倒語は相手をinsult=侮辱する/辱めるのが目的だから、同一文化内で共有される観念において一様にshockingとみなされる表現を使えばより効果的、というわけだ。

それとは対照的に、日本においては性的快楽への社会的許容度が歴史的に比較的高いことが特徴とされている。17世紀、江戸時代の民間快楽文化とそれに対する受容的な社会態度は、禁欲思想が浸透している当時の西洋社会(イギリスではピューリタンが勢いを持ち始め、Oliver Cromwell率いる議会派とチャールズ一世率いる王室派の市民戦争あたり)と比べると明確な差異を呈するのではと推察する。(注 当時のイギリスは確か9人だかの市民に1人の割りで娼婦がいたという統計もあるから別に彼らがお行儀がよかったわけではない。)そうした背景上、日本人に日本語の猥語を叫んでも相手を侮辱するという同様な効果は望めない。

一方、仏教では動物(畜生)のランクは人のランクより下に位置されており、行いが悪ければ畜生道に落ちてしまう。そこで他人を罵倒するには相手を動物のレベルに下げる、「馬鹿(horse/deer)野郎」「豚(pig)野郎」「獣(beast)以下」などという表現を使うほうがより効果的なのだ。

ただし、太古の昔から論理・議論・弁護といった口語文化が根付く西洋と比較し、それよりも紙が豊富なおかげで書記文化が発達した東洋において、どれほど相手をverbalに攻撃する必然性が日常にあるのかという疑問も生じる。

直接的に攻撃するよりももっと陰湿な、「村八分」、仲間はずれの方が効果的なのかもしれない。更にLily Allen風に泡立てて、もっと微妙で軽いinsultの仕方も生じるわけで - KY(空気読めない)、等々...。

こうして興味深い話をなんだかんだと二人で交わしつつ、美味しいお酒と食べ物を楽しみ、彼女は一泊した後ユーロスターでパリに帰っていった。

また会えるといいなと思う。
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by uk_alien | 2009-03-12 03:45 | hosting students