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もっとイングリッシュに

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義理ママは数年前に夫が死去して以来一人暮らし。下手をすると週に4~5回かかってくる電話も、月一回かそれ以上のお招きも仕方がないし、親孝行と思っている。

今回、サンルームでお茶しているときに彼女はいった。

「気を悪くしないでね。でも最近どうしてもきになってたから言うわ。あなた、日本人の輪の中に自分をとじこめすぎなんじゃない?イギリス人だけの会社に勤めたり、イギリス人のお友達ともっとお付き合いして、もっとイギリスの文化にひたってみたら?それにもしかしたらあなた、コンピューター中毒なんじゃないかと思うの。日本人ってそういうのが好きじゃない?こないだお父様もお酒やらギャンブルやらをやめられない性格だったっていってたじゃない?そういうものって遺伝すると思うのよ。」

彼女の母親は旧チェコ・スロバキア人でイギリスに移住してきた後もチェコ大使館に勤め続け、結局死ぬまでイギリスにもチェコにも満足せずアンハッピーなままだったという。対照的に13歳で移民した義理ママにとっては暗い子供時代のチェコの思い出をすべて忘れ去る絶好の機会で、英語などまったく話せなかったにも関わらず、飛行機からおりたったと同時に「自分はイギリス人だ」と実感したそうだ。イギリスの文化に進んで溶け込み、今ではすっかり自分はイギリス人だし、イギリスにいて幸せだし、ごくまれに「あら?あなたどこの出身?」なんてきかれるとすごく腹が立つのだそうだ。

自分の母親と同じような、祖国にも移民先にも幸せを見出せない、そんな思いは私にはしてほしくない、という。

彼女の私を思う気持ちは心からありがたいと思った。私の母親など到底理解できない地の果ての話だし、もし父親が生きていたとしても私のためを思ってそんなことを口に出すなんざ、まずなかっただろう。

しかし彼女は以下の3点で間違っている。

1) 私は日本人の輪の中にはいない。これは単なる誤解だ。日本にいる家族と連絡をとるのは月に一回弱、現地の日本人の知り合いや友人に会うのもやはり多分月に一度弱、頻繁に会う親友は韓国人。勤めてた会社は生粋のイギリス法人で社員5000人の中で日本人は二人、ボスはイギリス人だった。新聞はデイリーテレグラフかデイリーメールでニュースはBBC。ラジオは朝のLBC。好きなコメディーはリトル・ブリテンで先週まで一番観てた番組はビッグブラザーだ。私が日本語を話す%は5%以下でそのほとんどは「信じられない」とか「つかれた」とかのぼやき系の独り言だ。

2) 彼女のいう「イギリス文化」の中には、カリブ系イギリス人、アフリカ系イギリス人、イスラム系、インド・パキスタン系イギリス人、中国系イギリス人等々移民イギリス人の文化は含まれていない。また、貧困層の白人文化や若者文化も含まれていない。彼女の属する白人中流家庭の文化は「イギリス文化」を形作るひとつの側面でしかなく、それを指して、もっと「イギリスの文化になじんでみたら」というのは浅はかだ。

3) すでに自国で言葉と文化を自分のものとして吸収した大人と、自我が未発達な子供とでは異文化への対応のプロセスはまったく異なるという点を根本から無視している。彼女は後者のプロセスをたどった典型的な例で彼女の母親は前者の(中でも異文化不適応型の)典型的な例だ。

これらの点をどうして誤解/無視して話が持ち出せるのか不思議だった。学校を出てから一度も働いたことがなく、極貧の苦労を微塵も経験したことがなく、夫が残した不動産と預金の収入で未亡人になった以降も一番高額な課税対象範囲にゆうにとどまっている白人中流階級有閑マダムの無知加減が、私によかれと思って口にしていることがわかるだけに腹立たしく感じた。

しかし「あなたにはわからないわ」では、異文化が共存しあう明るく忍耐強い英国社会は成り立たない。ここはきちんと自分の立場を説明するべきだ。

まず、1)が誤解である点を指摘した。2)に関しては本題から逸れると思い深く追求しなかった。ただ、3)の説明とあわせて、私という人間は既に大人として出来上がっていて、、白人の中流階級文化をどんなに理解してもそれは「私の文化」ではない旨指摘した。大人の移民者にとって、移民先で見出す幸せは単に現地の文化に溶け込む努力をしたからといって子供のように簡単に得られるわけではなく、「移民者としての幸せ」を大人として見出していく難しいプロセスである旨、在英15年の韓国人の友人の例を出しつつ説明した。

「コンピューター中毒」の件に関しては実際立ち上げたウェブサイトを見せて、日本人・日本・日本語とは一切関係ない旨説明し、そのウェブサイトもいわゆる趣味の写真の延長であると説明した。

「ほら、私コンピューターとかぜんぜんわからないじゃない?だからどうなのかしらと思ってしまったのよ、紅茶のおかわりはいかが?」

私がもし、イスラム教徒だったら、インド・パキスタン系だったら、黒人だったら、根本的に違う立場を相手がわかろうとわかるまいと強く主張するような反応をしていたのだろうか。でも私は日本で生まれ育ったから私にできる範囲で相手の考え方や、相手の立場やお互いの関係を重んじつつ相手に接するのだ。それが好む、好まざるをえず、私らしさの一部なのだ。
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by uk_alien | 2006-01-30 02:35 | family